湯築(ユヅキ)城

 
所在地愛媛県松山市道後公園。松山駅の東北東3.4Km、伊予鉄道石出川公園駅の北東2.5Kmで、平地の中の比高33m程の小丘とその周囲。
構造当初、中央の丘陵部だけだったが、周囲に二重の土塁と堀を築いた中世の天守、石垣を持たない平山城。
築城南北朝期の1335年頃に、河野通盛が本拠を河野郡から湯築城に移した。河野通直が1535年頃、外堀を築いた。
城主ほか250年間の歴代河野氏、小早川隆景、福島正則
その他 最後の当主河野通直のとき、豊臣秀吉の四国攻めにより、城は小早川隆景に明け渡されが、すぐに隆景は筑前に移された。次の福島正則が城主となったが、国分山城に移り廃城となった。

縄張り「現地案内図」より2017/06/12 歩行図
説明板城址搦手門口
搦手門からの外堀外堀土塁と復元武家屋敷
内堀と内堀土塁同左
中央丘と内堀大手門付近外堀
本壇下の河野家累代の霊等を祀った岩崎神社本壇(説明番)展望台からの松山城
杉の壇(説明板)北西部内堀

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