淀城

 
所在地京都府京都市伏見区淀本町。京阪電鉄淀駅の南東390mで、北西の桂川と南東の宇治川との合流点近で舌状に挟まれいる平地。
構造中洲だった中に、本丸と二の丸を中心とした回の字形で、それに三の丸、西之丸、東曲輪が周りを囲んでいた平城。
築城徳川幕府が、松平定綱に命じ、元和2年(1627)着工、寛永4年(1627)に完工した。。
城主ほか松平定綱、永井氏、石川氏、松平(戸田)氏、松平(大給)氏、稲葉正知以下12代の稲葉氏
その他 城が出来上がった頃、将軍家光が上洛し、本丸に宿泊したため、それ以来本丸の使用は遠慮され使われなかった。
 ここ淀には、公認の客船・貨物船を支配する過所座が置かれ、淀川の交通の要所でもあった。
 城内に水を入れるため、二の丸の外側の淀川に面して直径9間の大水車が造られていた。
 慶応4年正月、目と鼻の先の鳥羽伏見で薩長と幕府の戦火が燃え上がったが、城内の藩幹部の協議の結果、春日局以来の幕府名門であり、藩主正邦は老中として江戸城に詰めているにも拘わらず、京都軍も幕府軍も城内に入れずと城門を固く閉ざす中立をとった。結果、崩れかけていた幕府軍に、津の藤堂藩が反旗を翻したこともあって、幕府軍の敗走に至った。

縄張り「現地案内図」より2017/03/29 歩行図(京街道歩行時)
淀城跡公園本丸 石垣と堀
本丸石垣の上から堀天守台
唐人雁木跡の説明板淀藩の説明板
與杼(ヨド)神社城址碑

古城巡りの TOP