所在地 | 福岡県柳川市本城町。西鉄柳川駅の西南西1.7km。 |
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構造 | 沖端川、塩塚川に挟まれた水郷デルタ地帯の縦横に掘割が廻らされた中にあり、本丸、二の丸、三の丸、これを取り囲む武家屋敷群を有していた。 |
築城 | 龍造寺氏が天正15年(1587)から築いた。田中吉政が入部してから、堀、石垣を整備し、五層の天守を建てた。 明治5年の破却令と火災により徹底的に壊されたが、御花と呼ばれる城主屋敷と大名庭園が残った。 |
城主ほか | 龍造寺(隆信?)、立花宗茂、田中吉政、忠政、立花宗茂、以後立花12代 |
その他 | 豊臣秀吉の九州攻略で、島津氏との戦いで功があり、立花宗茂がここを与えられたが、関ヶ原の合戦で西軍に味方して、奥州棚倉に左遷され、大阪夏の陣の功により帰り咲いた。 田中忠政は、36歳で早世、世継ぎがないため除封された。 |
柳川観光図 | 2010/04/15 歩行図 九州旅行 |
御花近くの掘割の遊覧船乗場 |
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