大和郡山城

 
所在地奈良県大和郡山市城内町。郡山駅の北西1.1Km、近鉄郡山駅の北々西650mで、奈良盆地の中の平地。
構造内堀で囲われた本丸の東に毘沙門曲輪、陣甫郭、西に新宅郭などが、夫々堀で区切られて短冊状に並び、それらの南に二の丸を配した平城。
築城天正6-7年(1578-79)、筒井順慶が築城。その後、豊臣秀長が拡張し、増田長盛によって外堀の一周と城下町の完成があった。
城主ほか筒井順慶、豊臣秀長、増田長盛、大久保長安、水野勝成、松平忠明、本多政勝、忠平、柳沢吉里以下の柳沢氏
その他 筒井順慶が築城した時は信長に急かされて工事を急ぐために、おびただしい石仏や供養石塔が使われた。
 本能寺の変の後、明智光秀は結びつきの強かった順慶に来援を求めて、山崎の向かいの洞ヶ峠まで出かけ誘いをかけたが、順慶は情報収集に努めただけで、光秀にも秀吉にも誘いに乗らなかった。

縄張り「現地案内図」より2015/04/21 歩行図

柳門跡三の丸跡緑地
五軒屋敷池鉄門跡
陣甫郭から毘沙門曲輪追手向櫓
説明板追手門と多聞櫓
常磐郭の城址会館(旧奈良県立図書館)常磐郭北の空濠
毘沙門曲輪の庭園左 本丸 右 毘沙門曲輪
本丸 工事中の天守台法印郭からの天守台

古城巡りの TOP