上田城

 
所在地長野県上田市二の丸。上田駅の北西1Kmの地。
構造北に太郎山、南から西に千曲川、東は神川に守られた地に、本丸を二の丸、小泉曲輪、三の丸で囲んだ半包括型の平山城。三の丸の御殿、蔵屋敷、中屋敷はそれぞれ独立の曲輪を有してた。
築城天正11年(1583)真田昌幸が築城開始した。関ヶ原の合戦後、破壊されるが、寛永の頃仙石氏により修築が行われる。
城主ほか真田昌幸、依田信守、真田信之、仙石忠政、政俊、政明、松平忠周、忠愛、忠順、忠済、忠学、忠固、忠礼
その他 真田昌幸は、武田信玄・織田信長・北条氏・徳川氏と主家を転々と変えたが、最終的に豊臣秀吉の家臣となった。関ヶ原の合戦時には西軍に与して、上田の合戦で徳川秀忠の軍3万2千を数千の兵で撃退した。しかし西軍は敗れ、昌幸・幸村のの父子は紀州九度山に幽閉となった。
 昌幸の嫡男信之は東軍に与したため、上田の領地を継承することが出来た。

縄張り「探訪日本の城 4中山道」より2002/02/17 歩行図 北国街道歩き
本丸東虎口門と南櫓本丸東虎口門と北櫓
本丸跡

古城巡りの TOP