富山城

 
所在地富山県富山市本丸。富山駅の南940mで、北を松川(かっての神通川の跡)に面し、東にいたち川が流れる平地。
構造北面は、かって流れていた神通川を天然の要害とし、本丸と西ノ丸囲うように、二ノ丸、三の丸、東出丸が配置され、各郭は水堀で区切られていた平城。
築城天文元年(1532)、神保長職が築城。天正7年(1579)、佐々成政改築する。慶長10年(1605)、前田利長が入封、修築する。万治4年(1661)、前田利次が入城し富山藩を立藩、城を完成させる。
城主ほか神保長職3代、上杉謙信の城代、(織田信長の臣)佐々成政、加賀前田藩所領、前田利長、城代、前田利常、(富山藩)前田利次、正甫、利興、利隆、利幸、利興、利久、利謙、利幹、利保、利友、利馨、利同
その他 天正13年(1585)、佐々成政は、北庄にあった柴田勝家と呼応して兵を挙げたが、秀吉は成政が立て籠もる富山城を大包囲し陥落させた。
 前田利長は隠居城として居住したが、慶長14年火事により全焼し、高岡城に移った。
 現在の天守は復興天守である。

現地の「富山城址新旧比較図」2012/11/22 歩行図
二ノ丸跡(西側)より本丸と復興天守本丸南の枡形虎口
本丸跡広場と遠景の剱岳本丸内 2代藩主前田正甫の説明板
城の北を流れる松川本丸北東部にある美術館
本丸東面 城門風駐車場入口二ノ丸跡(東側)からの本丸と復興天守

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