富岡城

 
所在地熊本県天草郡苓北町富岡。肥薩おれんじ鉄道水俣駅の北西はるか50Km先で、天草諸島の下島の北西端の周囲7Km程の陸繋島の標高60m程の小山の上。
構造山頂に本丸を置き、北東に延びる頂陵に二の丸、出丸を配置し、二の丸の南東斜面から下に三の丸が置かれていた平山城。
築城慶長7年(1602)から同10年にかけて、天草領主だった肥前唐津藩の寺沢広高が築いた。
城主ほか寺沢氏城代、山崎家治、天領(代官 鈴木重成、重祐、重辰)、戸田忠昌、天領
その他 寛永14年(1637)秋、天草大矢野島に挙兵した天草四郎の農民軍が、下島の本戸を襲った。すでに一揆の来攻をを予知していた城代の三宅藤兵衛は、800の兵で本戸を守備していたが、5千とも6千とも云われる一揆軍に襲われ藤兵衛は討ち取られ、敗軍の唐津兵は富岡城に逃げ込み、これを追った一揆軍は城攻めを繰り返したが、落城することはなかった。総攻撃に失敗した一揆勢は、全軍早崎海峡を渡り対岸の原城跡に入った。この時から本格的な島原の乱、原城合戦が始まった。
 戸田忠昌の時に、城の維持管理費軽減のために、本丸と二の丸を破却して、三の丸を陣屋として使用した。

縄張り「現地案内図」より2017/05/04 歩行図
案内図袋池からの富岡城
代官 鈴木重成像二の丸
三重の石垣本丸への登り
本丸 門本丸からの富岡の町
二の丸南東面出丸

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