所在地 | 三重県鳥羽市鳥羽3丁目1。鳥羽駅の南々東680mで、伊良湖水道の海に面した標高50mの丘の上 |
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構造 | 大手門は海に開いた水門で、内陸側には堀を巡らせ、丘の上の本丸には三層の天守があり、海側麓に二ノ丸、三ノ丸を有した海城 |
築城 | 文禄3年(1594)に、九鬼嘉隆が築城 |
城主ほか | 九鬼嘉隆、守隆、内藤忠重、忠政、忠勝、土井利益、松平(大給)乗邑、板倉重治、松平(戸田)光慈、稲垣昭賢以下8代の稲垣家 |
その他 | 九鬼嘉隆は、信長に従って各地に転戦、本能寺で信長が横死すると豊臣秀吉に従い、小田原征伐、四国・九州攻めに加わり、朝鮮の役など、常に水軍の将として活躍した。関ヶ原の役に、隠居の身であった嘉隆は、西軍の石田三成に味方し、嫡子守隆は徳川家康の東軍に従った。家康の勝利となり、嘉隆は答志島和具に逃れた。守隆は家康に嘉隆の助命を願って許されたが、手違いにより嘉隆は切腹に至った。 |
縄張り「鳥羽市教育委員会パンフレット」より | 2019/02/08 歩行図 |
城山公園からの眺め | 本丸への道 |
本丸石垣 | 本丸(説明) |
天守跡 | 三ノ丸から本丸 |
説明板 | 三ノ丸 |
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