千早城

 
所在地大阪府南河内郡千早赤阪村千早。五条駅の北西7.8Km、南海電鉄早口駅の東5.9Kmで、金剛山地の金剛山(標高1125m)から西に派生する尾根の末端近くの標高630mから670mにかけての尾根上。
構造三方を急峻な地形に囲まれて、尾根の末端から比高120m程のところの尾根上に四の丸があり、順次三の丸、二の丸、最高所に本丸を配した連続型の山城。
築城元寇2年(1332)、楠木正成が築城
城主ほか楠木正成、正行、正儀、正勝
その他 楠木正成の本城であった赤坂城の詰城として築かれたが、建武の中興の成立に際し、北条幕府軍の大群をここに釘付けにして、諸国の天皇軍の挙兵を早めたという重要な役割を演じた史上有名な古城である。建武中興失敗後、足利尊氏の軍が来攻も守り抜いたが、元中7年(1390)畠山基国の軍に攻められ、落城した。

縄張り「現地案内図」より2015/06/25 歩行図

登城口説明板
石段が続く四の丸に到着
四の丸城址碑
二の丸 千早神社金剛山登山路に合流

古城巡りの TOP