竹田城

 
所在地兵庫県朝来市和田山町竹田。竹田駅の西630mで、標高353m(比高250m)の円山川左岸の山の山頂部。
構造最高所の天守台をほぼ中心に置く石垣城郭で、南に南二の丸、南千畳を、北に二の丸、三の丸、北千畳を、北西に花屋敷の曲輪を配置した山城。
築城永享3年(1431)から嘉吉3年(1443)にかけて、山名持豊(宗全)が築城し、太田垣光景を初代城主に配したという。
城主ほか太田垣光景、影近、宗朝、俊朝、宗寿、朝廷、輝延、豊臣秀長、桑山繁晴、赤松広秀
その他 関ヶ原の合戦で、赤松広秀は西軍として舞鶴城の細川幽斎を攻めたが、西軍は敗れ家康からにらまれることとなった。その後鳥取城の宮部長煕を家康の命により攻めていた亀井滋矩に、家康との間を取りなす事を条件に応援を求められて鳥取城を攻めた。城は落ちたが、広秀の放った火が民家を焼き城にまで燃え移ったのは手落ちであると家康に難癖をつけられ、切腹させられた。竹田城は以後廃城となった。

縄張り「現地案内図」より2015/04/20 歩行図

西からの遠望城東直下より
大手口下より北千畳からの三の丸
三の丸からの本丸二の丸からの本丸
本丸近くから南二の丸付近本丸天守台
南千畳本丸天守台から二の丸にかけての石垣

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