高遠城

 
所在地長野県伊那市高遠町東高遠。伊那市駅の東9.5Kmの三峰川と藤沢川の合流点の比高60mの兜を伏せたような山。
構造本丸を中心に二の丸、三の丸が梯郭式に配され、その西と南には勘助曲輪と南曲輪、宝幢院曲輪がある。
築城天文16年(1547)、武田信玄が伊那谷侵攻の拠点として山本勘助に命じて築城した。
城主ほか(武田氏)保科正俊、秋山信友、武田勝頼、武田信廉、仁科盛信、(織田氏)毛利秀頼、小笠原信嶺、下條頼安、(徳川氏)保科正直、毛利秀頼、京極高知、保科正光、正之、鳥居忠春、忠則、内藤清長以降8代
その他 三の丸に内藤氏が開いた藩校進徳館が保存され、多くの南信濃の人材を輩出した。
 六代将軍徳川家宣の妾の月光院の女中絵島は、月光院に寵愛され大年寄にまで出世し、その代参として家宣の命日に芝増上寺に詣った。その帰途、山村座という劇場に立ち寄り帰城が遅れ、門限に間に合わなかった。審理の際、山村座の役者であった生島新五郎との密会を疑われ、死罪を減じての島流し処分となったが月光院が減刑を嘆願したため、信濃高遠藩へ流された。

縄張り「続・群馬の古城」より2011/06/10 歩行図 恵那山登山の帰途立寄り
今は駐車場となっている勘助曲輪伝、大手門
三の丸にある藩校、進徳館三の丸二の丸間の空堀
昭和11年に二の丸内に建てられた高遠閣二の丸 (城址公園)
二の丸から本丸へ渡る橋

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