高松城

 
所在地香川県高松市玉藻町。高松駅の東400mにあり、北は瀬戸内海にほぼ面している。
構造海水を濠に引き入れて、本丸のまわりに二の丸、三の丸、桜の馬場、西の丸を配した平城(海城)。船の到着を監視する着見櫓や披雲閣、艮櫓がある。
築城天正16年(1588)から豊臣家臣の生駒親正が讃岐17万石を与えられて築城された。
城主ほか生駒親正以降4代、松平頼重以降11代
その他 別名玉藻城と呼ばれるが、柿本人麻呂が讃岐の枕詞に玉藻よしと詠んだことから、付近の海が玉藻の浦と呼ばれていたことによる。
 生駒高俊の代に家臣が二分するお家騒動が起こり、出羽に転封された後、水戸藩祖徳川頼房の長男にもかかわらず、尾張、紀伊両家に遠慮して水戸藩主になれなかった頼重を将軍家光が憐れんで、高松藩主として独立させたという。
 徳川光圀も長男を差し置いて水戸藩主となったことを悔やみ、頼重の子を跡取りに迎えて水戸藩主とし、頼重も光圀の子頼常を高松藩主とした。以後明治維新まで養子縁組が繰り返された。

「図解日本の城」より2010/05/18 歩行図 四国旅行
旧太鼓櫓に移築復元の艮櫓旭橋と旭門
桜御門跡近くの中堀藩政庁と藩主住居だった披雲閣が大正6年再建
着見櫓(月見櫓)天守石垣の解体工事中の本丸と鞘橋

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