首里城

 
所在地沖縄県那覇市首里当蔵町。ゆいレール首里駅の西南西740mで、安里川とその支流真嘉比川に囲まれた高台。
構造城壁で囲まれた外郭の内側に、これも城郭で囲繞された内郭の内側に正殿、北殿、南殿などが配置された、中国の城の影響を受けた山城。
築城不詳。14世紀頃か。
城主ほか第一尚氏(尚思紹、尚巴志・・尚徳)、第二尚氏(尚円・・尚泰)
その他 尚巴志が三山を統一して、琉球王朝を立て首里城を居城とした。
 慶長14年(1609)、江戸幕府からの要求を無視していた琉球に対し、幕府は薩摩藩に侵攻を許可し、第二尚氏7代の尚寧の王府は降伏し、以後薩摩藩の間接支配下にあった。
 明治5年(1872)、明治政府は琉球処分を行い、中山王府を廃し県を置いた。
 太平洋戦争時には、首里城の下の地下壕に陸軍第32軍総司令部が置かれ、そのため激しい砲撃や戦闘で、城及び城下の町並みが破壊された。
 戦後、琉球大学が置かれたが、昭和33年(1958)の守礼門再建から始まった復元作業が行われてきている。
 平成12年(2000)に、琉球王国のグスク及び関連遺産群として他のグスクとともに世界遺産に登録された。

縄張り「現地パンフレット」より2015/01/05 歩行図

守礼門園比屋武御嶽石門
守礼門付近から西の眺め歓会門
久慶門手前の景瑞泉門
漏刻門広福門
下之御庭と奉神門下之御庭南城壁
正殿と御庭南殿
北殿奉神門から京の内へ
京の内からの眺め西(イリ)のアザナ展望台の城壁
久慶門下の景第32軍司令部壕跡

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