駿府城

 
所在地静岡県静岡市葵区駿府公園、追手町、城内町、駿府町。静岡駅の北西1Kmで、西2Kmに安倍川が南北に流れ、北西の賤機山(標高171)と東の谷津山(標高108)に挟まれる平地。
構造三重の堀が城を廻り、その中心が本丸で、その外側を二の丸、三の丸とする典型的な輪郭式の平城。
築城 室町時代(1393)に、今川範国が今川館を築く
 天正13年(1585)、徳川家康築城する
 慶長12年(1607)から、家康の隠居城として諸大名の助役普請で大改修された
城主ほか今川氏、徳川家康、中村一氏、内藤信成、徳川家康、頼宣、忠長、幕府直轄
その他 竹千代と呼ばれていた徳川家康は、8才の時から11年間、今川館に人質として暮らしていた。
 家光との権力争いに敗れた忠長は、辻斬りや家臣の手打ちや浅間神社での猿狩りの行状があったとして、領地を取り上げられ蟄居の上自害した。
 ここは、大御所政治の中心で、諸大名や外国使節も立ち寄り、人口も江戸の15万に対して10万を数える繁盛ぶりだったが、慶長13年(1608)に完成した五層七階の大天守閣は、寛永12年(1635)の火災で炎上した。
 明治になり城の建物は取り払われ、明治29年には歩兵第34連隊が置かれた。

縄張り「現地説明板」より2012/04/09 歩行図 (東海道歩き)
三の丸南面堀と大手御門橋二の丸巽櫓
二の丸東面の堀と東御門二の丸東御門
本丸堀跡歩兵第34連隊跡碑
東照公御遺訓碑本丸跡、家康像
説明板二の丸北面の堀
三の丸草深御門跡三の丸北面の堀
二の丸西面の堀三の丸西面の堀

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