塩田城&弘法山

 
所在地長野県上田市前山541。上田電鉄塩田町駅の南2.4Kmで、独鈷山から東に張り出した尾根の支脈の弘法山(842m)の北斜面中腹。
構造北斜面で塩田平を一望できる位置に、東西幅30〜80mにわたって、20数段もの階段状に帯曲輪が置かれ、途中に空堀や石垣で積まれた虎の口がある山城で、最高所には北条時国の墓が祀られている。
築城鎌倉時代中期(1277)、北条義政がこの地に移り館を構えたのが始まり。鎌倉幕府滅亡後、坂城の村上氏からその後の甲斐の武田氏にかけて、山腹に城が築かれたと推定される。
城主ほか北条義政、国時、俊時、(村上氏臣)福沢氏、武田信玄、真田昌幸
その他 北条義政は鎌倉幕府の重臣だった。北条氏の館は麓に築かれていたようだ。
 真田氏が上田城後は、この城は廃城となった。

縄張り「現地案内図」より2018/06/09 歩行図
北条氏館跡辺りからの中腹に塩田城のある弘法山城跡説明板
城址碑左近くの空壕跡
段郭虎の口付近の石垣
虎の口付近の石垣説明板 2
井戸跡のある郭北条国時の墓
頂上尾根に出たところの地蔵像頂上近くの岩窪には多くの観音菩薩像が祀られていた
格子の中には弘法大師像や観音菩薩頂上近くから望む塩田平
弘法山頂上見るだけにしたルート
山道脇のサワギク?ネジキの花?

  
ルート上田市山王山公園(12:20)−城址碑(12:37)−虎の口−北条国時墓(12:50)−弘法山(13:29)−前山寺(14:17)−公園着(14:35)
日付2018(平成30)年06月09日
同行者KY
感想弘法山は標高も842mと高くもなく標高差も300mほどなので、少しなめてかかったが、岩尾根があったり、土の急斜面があったりした緊張させられた。頂上からの眺めは素晴らしかった。

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