島原城

 
所在地長崎県島原市城内1丁目1183。島原鉄道島原駅の西南西340mで、島原半島東岸の島原湾から700m程の平地。
構造城は、内・外郭に分かれて南北に長い長方形で、外郭は周囲4Kmにも及び、内郭は南から本丸・二の丸・三の丸と並び、いずれも塀をめぐらし、五層の天守閣のほか多数の櫓が建ててあって、二の丸と本丸の間は一つの廊下橋での連絡をしていた連結型の平城。
築城元和4年(1618)から8年の歳月をかけて、松倉重政が築いた。
城主ほか松倉重政、勝家、高力忠房、隆長、(深溝)松平氏5代、戸田氏2代、(深溝)松平氏8代
その他 この地には、明応の頃(1492-99)から全盛を誇った有馬氏の属城・浜の城があったが、次第に衰え、慶長17年有馬晴信は徳川家康に切腹を命ぜられ、直純はキリシタン弾圧に失敗して日向延岡に移封された。
 その後に6万石で入封したしたのが松倉重政だったが、この築城費を調達するために重税を課して領民は極度に貧窮し、また残忍なキリシタン拷問などが、百姓一揆となり天草の乱になった。

縄張り「現地案内図」より2017/05/04 歩行図
説明板復興天守
西の櫓本丸 松倉重政の祭祀祠(説明)
本丸からの眺め 眉山と雲仙平成新山巽の櫓
本丸南土塀本丸 三の丸から移築された御馬見所
本丸 丑寅櫓本丸(左)・二の丸(右)間の堀
二の丸北東堀外からの二の丸と本丸勘定奉行佐久間邸からの眺め
堀外からの丑寅櫓堀外からの巽櫓
大手門跡あたりからの本丸堀外からの本丸南面

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