所在地 | 群馬県邑楽郡大泉町丘山40-1。東武西小泉駅の南西2.7Kmで、利根川左岸近くの平地。 |
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構造 | 「南部は80m×160m、上面の平らな丘で、北部との間を幅20m、深さ5mの大堀切で断つ。北部は半月型で北・西両面に空濠と土居が築かれ、西部では崖際を掘り外に帯曲輪がある」日本城郭体系 |
築城 | 観応年間(1350頃) |
城主ほか | 新田時代には赤岩厚親、天正末年には岡山播磨守 |
その他 | 北部は、住宅街になってしまっており、遺構は認められない。 |
縄張り「日本城郭体系」より | 2018/03/11 歩行図 |
北部と南部を分ける大堀切の跡 | 南部の丘面 |
南部の丘の林 |
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