佐倉城

 
所在地千葉県佐倉市城内町。京成佐倉駅の西南西1.3Kmで、北方2.5Km先に印旛沼がある比高20mの丘の上。
構造西側は、高崎川、鹿島川を天然の要害とし、水堀、空濠、土塁を築いて、本丸、二の丸、三の丸、椎木曲輪や角馬出を有する連続式平山城。
築城戦国時代中頃に、千葉親胤の命により一族の鹿島幹胤によって始めて築かれたと伝えられる。慶長16年(1611)、徳川家康に命じられ土井利勝が7年間かけて再築を行った。
城主ほか千葉氏、久野宗能、武田信吉、松平忠輝、土井利勝、石川忠総、松平(形原)氏、堀田氏、松平(大給)氏、大久保氏、戸田氏、稲葉氏、松平(大給)氏、堀田氏(延享3年・1746〜明治)
その他 千葉繁胤は、秀吉の小田原攻めに際し、北条方に応じたため、佐倉城は徳川家康軍に攻められて開城した。
 承応2年(1653)領主堀田正信の苛酷な増税により農民は困窮を極め、名主木内惣五郎が将軍綱吉に直訴に及んだ。
 本丸の天守閣は、文政10年(1827)に焼失した。
 幕末の堀田正睦は洋学に理解あり、蘭医佐藤泰然を招いた。その時の病院が順天堂病院の起こりとなった。
 維新後、城跡には第1軍 第2師営がおかれ、その後歩兵第2連隊等の兵営となった。
 現在、椎木曲輪には国立歴史民俗博物館が建っている。

縄張り「現地説明板」より縄張り「現地説明板」より
2012/03/11 歩行図
田町門跡田町門跡付近の水堀
本丸北の出丸と水掘本丸西の出丸
登り着いたところは三の丸三の丸東の空濠
歩兵第2連隊佐倉兵営跡碑本丸一の門跡
本丸角櫓跡角馬出
鏑木小路の武家屋敷大手門跡

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