所在地 | 佐賀県佐賀市城内二丁目。JR佐賀駅の南2.1km。 |
構造 | 東に筑後川、南に有明海の湿地帯に守られ、佐賀平野の縦横にクリークが走る中に、本丸、二の丸、三の丸、西の丸、武家屋敷を有する平城。事があれば水を引き込んで主要部以外は水没させる「沈みの城」だった。 五層の天守があったが、享保11年落雷により焼失し、鯱の門だけが残存している。平成16年に本丸御殿が復元された。 |
築城 | 奈良時代末から土着して勢力を張ってきた龍造寺氏の居城村中城を、後見人になって後実権を握った鍋島直茂が、天正13年から改修を開始した。完成は子勝茂の代の慶長18年だった。 |
城主ほか | 龍造寺歴代、隆信、政家、高房、鍋島直茂、鍋島歴代 |
その他 | 龍造寺隆信は、北九州に大勢力を張っていたが、天正12年有馬・島津連合軍と戦で戦死、跡を継いだ病気の政家は、子高房が幼少のため鍋島直茂を後見とした。江戸に足止めされたまま佐賀に帰ることを許されなかった高房は、煩悶のうちに22歳で江戸において自決した。この怨念話が「鍋島化け猫騒動」が生まれるもとになった。 明治7年江藤新平等の佐賀の乱の攻撃を受けて、城内に当た県庁が焼失し、鯱の門には当時の弾痕が残る。 |