所在地 | 大分県大分市荷揚町4-1。大分駅の北東950mで、大分川の左岸近くで別府湾岸だった平地。 |
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構造 | 本丸を中心に東の丸、西の丸、北の丸、北の小丸を二の丸とし、更に三の丸を構えた平城。 |
築城 | 福原直高が、慶長2年(1597)から同4年にかけて築城。 |
城主ほか | 福原直高、早川長政、竹中重利、重義、日根野吉明、天領、(大給)松平忠昭以下4代の松平氏 |
その他 | 石田三成の娘婿だった福原直高は、築城完成後、秀吉の死で徳川家康により減封転封とされた。 大分は、大友氏が守護所を置いていた所だが、その本拠は西山大友館だった。 |
縄張り「現地案内図」より | 2017/04/30 歩行図 |
廊下橋 | 堀と隅櫓 |
天守台 | 埋め立てられてしまった内堀跡 |
冠木門と廊下橋 | 人質櫓 |
多聞櫓門 | 東丸隅櫓 |
案内板 | 帯曲輪説明板 |
東丸櫓 | 人質櫓と西堀 |
西堀と天守台 | 廊下橋 |
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