小川城

所在地群馬県利根郡みなかみ町月夜野。上毛高原駅の東280mで、利根川西岸の段丘の上。
構造「本丸は東西60m、南北40mのT字形で・・本丸濠は深く、顕著な折が設けられている・・北と東の断崖は高さ20mに及んでいて・・」の崖端城(日本城郭体系)
築城明応元年(1492)、沼田景久が築城
城主ほか(景久次男の)小川景秋、景祐、影奥、・・小川可遊斉(上杉謙信に属す、真田昌幸に従う)、北能登守、北条方持ち城、真田方持ち城
その他 天文16年(1547)、小川可遊斉、菩提木の戦いで沼田勢を打ち破る。天正8年(1580)、北条・沼田勢と可遊斉、再び菩提木にて戦い勝利する。これに北条氏邦大いに怒り、数倍の兵を持って小川城を攻めた。激戦の末、可遊斉以下城を捨て、見城の柵に逃れたが、やがて越後に敗走した。
 天正17年、豊臣秀吉の斡旋により小川城は北条方のものとなったが、翌年北条氏没落後、真田氏に返された。
 沼田真田5代藩主真田信澄(信利)は、寛永15年(1638)から18年間、三の丸の陣屋に居住した。

縄張り「日本城郭体系」より2017/07/21 歩行図
見城の柵のある味城山本丸濠の北
本丸濠の南本丸跡
ささ郭からの本丸城址碑
説明板二の丸濠跡

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