所在地 | 滋賀県長浜市湖北町伊部。河毛駅の東北東2.8Kmで、琵琶湖北東岸近くの標高495mの小谷山の上。 |
構造 | 小谷山南面の清水谷を居館地区とし、これを囲う二本の尾根の東側尾根に本丸等を置き、西側の尾根にも郭を配した山城。 |
築城 | 大永4年(1524)、浅井亮政が築城。 |
城主ほか | 浅井亮政、久政、長政、羽柴秀吉 |
その他 | 浅井亮政、六角氏と争い、和す。更に越前朝倉氏とも盟約する。浅井長政、織田信長の妹お市を娶り、信長とともに六角義賢父子を観音寺城下から追う。長政、朝倉義景と共に織田・徳川連合軍と姉川で戦い敗れるが、和がなる。天正元年(1573)、秀吉、小谷城を攻め、久政・長政父子自刃。秀吉小谷城を与えられたが、近江長浜に移り、小谷城は廃城となる。 浅井長政と正室市戸の間に、茶々、初、江の三人の娘が生まれた。小谷城落城の際、市と三姉妹は救出されて、市は柴田勝家と再婚し、勝家が羽柴秀吉に敗れて市は自害、三姉妹は秀吉に預けられた。茶々は秀吉の側室(淀君)となって秀頼を産み、初は京極高次の正室となった後、姉・妹の嫁いだ豊臣・徳川両家の関係を改善すべく仲介に奔走し、江は秀吉の養子豊臣秀勝と婚姻の後、徳川秀忠の正室として嫁ぎ、徳川家光や中宮源和子(後水尾天皇の正室となる)たちを産み、その血筋は今上天皇にまで続いている。 |