飫肥城

 
所在地宮崎県日南市飫肥10丁目。飫肥駅の西1Kmで、酒谷川左岸の比高30m程の台地の上。
構造東西750m、南北500mの城域に、本丸、松尾、中ノ城、今城、西ノ城、北の丸など、シラス台地を空濠で区切った大小13の曲輪で構成された城。
築城南北朝時代に、土持氏が築城したと伝わる。
城主ほか土持氏、島津氏(一族新納氏)、伊東義祐、島津氏、伊東祐兵(スケタケ)以下の14代の伊東氏
その他 伊東氏の先祖は伊豆の工藤氏で、地頭職に任じられて日向に下り本拠は都於郡(トノコオリ)にあったが、伊東義祐のとき南に進んで飫肥を奪ってこれを居城とした。けれど、木崎原の合戦での敗戦をきっかけで飫肥城は奪還され、伊東の持ち城は全て失って、各地を転々と漂白するに至った。ただ、子の祐兵は後に豊臣秀吉に見出されて、旧領の飫肥に2万8千石の大名に取り立てられた。

縄張り「現地案内図」より2017/05/06 歩行図
大手門通り大手門(説明板)
大手門から東の通り大手門桝形
登城路本丸
松尾の丸御殿(説明板)旧本丸登城路
旧本丸跡(説明板)旧本丸の北門
振徳堂(説明板)同左長屋門

古城巡りの TOP