明徳寺城

 
所在地群馬県利根郡みなかみ町後閑1739。後閑駅の北東450mで、三峰山から張り出した尾根の末端部。
構造規模は400mx300mで、3段ほどの郭に区画され、周囲に2m以上の二重の高土居がめぐらされた崖端城。
築城南北朝時代に沼田氏が築いたものと考えられ、その後北条氏の時に真田氏に備えて整備構築された。
城主ほか沼田氏、上杉氏、北条氏、真田氏、北条氏、真田氏
その他 天正8年(1580)1月、真田昌幸は明徳寺城を急襲した。北条方の城代矢部豊後守は、死守すれどついに敗れて沼田に脱出した。
 その後天正17年に、豊臣秀吉の裁定により再び北条のものとなったが、北条側の名胡桃城への不法攻略により、翌年に小田原征伐が開始され、利根沼田は真田氏のものとなった。明徳寺城は廃城となった。

縄張り「日本城郭体系」より2017/09/24 歩行図
説明板虎口 (?)
空濠土塁
上段の郭下段の郭
中段の郭土塁

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