盛岡城

 
所在地岩手県盛岡市内丸。盛岡駅の東南東1.2Kmの中津川右岸に位置する。
構造東西を流れる中津川と古北上川を天然の濠として利用した連続型連結型併用の平山城。
築城南部利直が、来不方の丘と言われていた盛岡のこの地に、文禄3年(1594)築城を開始した。慶長2年(1597)に利直は盛岡城に移ったが、完全に出来上がったのは寛永10年(1633)だった。
城主ほか南部利直以降15代の南部氏
その他 文治5年(1189)源頼朝の家臣南部光行が藤原泰衡討伐の功よりこの地を拝領して、三戸城に居城して代々世襲していた。天正13年(1585)南部信直の時、一族の九戸政実が反乱をおこし、信直は豊臣秀吉に援助を求め、秀吉は羽柴秀次をして平定させた。これ以後信直は南部領すべてを領することになった。
 南部氏は江戸期を通して国替えはなく、安定した治世を続けたが、明治維新の際に奥羽同盟に加わり、離脱した秋田、津軽の2藩と戦い両藩に占領され、殿館の破却を命じられた。
 城跡に石川啄木歌碑がある。「来不方(コズカタ)の お城の草に 寝ころびて 空に吸われし 十五の心」

「探訪日本の城1奥羽道」より2008/05/16 歩行図 奥州街道歩き
本丸内 南部中尉銅像台座本丸、二の丸の堀切道と石垣

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