水戸城

 
所在地茨城県水戸市三の丸一丁目(三の丸)、二丁目(二の丸)、三丁目(本丸)。水戸駅のすぐ北の、那珂川と千波湖には挟まれて、北西から南東にかけて突き出ている台地の上で、水戸駅の北500mに三の丸、北東500mに二の丸、東北東600mに本丸が位置する。
構造主郭部分は台地の地形を利用して、南北に3本の堀切を設けて、東から下の丸、本丸、二の丸、三の丸とした平山城。
築城建久年間(1190-98)に大掾(馬場)資朝が築いたのが始めと云われる。文禄2年(1593)、佐竹義宣は水戸城及び城下の大規模な普請を行った。寛永2年から15年(1625-38)にかけて、水戸徳川家により、城郭整備がなされた。
城主ほか馬場大掾氏(約2世紀)、江戸氏7代、佐竹義宣、武田信吉、徳川頼宣、(水戸徳川家)徳川頼房、光圀、綱條、宗堯、宗翰、治保、治紀、斉脩、斉昭、慶篤、昭武
その他 江戸氏は、天正18年の小田原合戦に参陣しなかったため、常陸一国は秀吉により佐竹義宣に安堵された。関ヶ原の役で佐竹義宣は、石田三成に応じたため、徳川家康より秋田に移封させられた。
 元禄11年、光圀は二の丸に「大日本史」編纂局として水戸彰考館を、天保12年、斉昭は三の丸に藩校弘道館を開設した。
 かつて二の丸には、天守に相当する御三階櫓が建てられていたが、昭和20年の空襲により焼失した。現在、城跡には学校や役所が建ち並んでいる。本丸には水戸一高、二の丸には水戸二高、市立二中、茨城大付属小と幼稚園、三の丸には市立三の丸小、市役所、県立図書館、警察署、郵便局などである。また、本丸・二の丸・三の丸を分ける深い空壕の底には、それぞれJR水郡線、県道232号線が走っている。

縄張り「関東の名城を歩く 北関東編」より2012/09/04 歩行図
三の丸の弘道館正門講道館政庁
三の丸・二の丸間の大手橋二の丸 市立二中と大日本史編纂の地碑
二の丸 御三階櫓跡説明板本丸跡碑と説明板
本丸 水戸一高内の薬医門本丸・二の丸間の空壕の底をJR水郡線が通っている
町家地区と城内を区画する三の丸空壕跡

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