箕輪城

 
所在地群馬八幡駅の北方7.5Km、群馬県箕郷町西明屋にあり、榛名山の裾野の尾根末端にある。
構造構成は、丘城に御前曲輪・本丸・二の丸・三の丸・木俣曲輪・稲荷曲輪等を有し、平城に新曲輪・白川口郭を有する平山城である。
築城永正9年(1512)とも大永6年(1526)とも言われる。築城者は、長野業尚のようだ。
城主ほか長野業尚、憲業、業政、業盛、(武田方)内藤昌豊、昌武、(織田方)滝川一益、(北条方)北条氏邦、(徳川方)井伊直政
その他 天文15年、上杉憲正が川越の夜戦に惨敗すると、譜代諸将の多くがその許を去って北条方についたが、業政と岩槻の太田資正はこれを守った。平井城が氏康に落とされてからは、箕輪城は西毛の牙城として北条勢に抗していたが、弘治元年から9年に亘って武田信玄の攻撃が加えられた。永禄6年ついに落城し、業盛は自刃した。
 天正18年、井伊直政が12万石でここに封ぜられたが、9年後の慶長3年に幕命により城を高崎に移した。

「群馬県古城塁址の研究 下巻」より2010/01/31 歩行図
水の手曲輪 「箕(み)」のような形をしていることから、箕
輪の地名が起こったと言われている。
木俣 通路が二俣、三俣のように五つの方向に
分かれるのを木俣という。
郭馬出三の丸門跡と石垣
御前曲輪北堀御前曲輪 本丸の詰めにあり城の精神的な中心であった。
落城の際、長野業盛以下自刃した持仏堂が
あったと伝えられている。
御前曲輪にある箕輪城将士慰霊碑本丸
箕輪城址碑案内図

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