所在地 | 群馬県安中市松井田町高梨子。西松井田駅の北東0.8Kmの丘陵上にある |
構造 | 主要部は、標高およそ250〜410mの尾根上に、東西1km、南北1.5kmに及び、ところどころを堀切で断ち、その間に10ヶ所ほどの郭を並べた山城 |
築城 | 永禄初年(1558)、安中忠政が武田勢の侵攻に備えて築城した。北条氏時代に、碓氷防衛の拠点として、劃期的な大改修を行った。 |
城主ほか | 安中越前守忠政、(武田方城代)市川宮内之介国貞、(滝川一益城代)津田小平次政秀、(北条方)大道寺駿河守政繁 |
その他 | 武田信玄の松井田城に対する攻撃は、永禄2年(1559)の9月中旬から開始された。安中松井田間に楔入して、八幡平に陣城を築き、連年兵を出して作毛を刈ったり、懐柔工作を行ったあと、本格的強攻に移った。安中忠政は子忠成とともに堅城に拠って激しく防戦したが、力尽き信玄の軍門に下った。忠政は詰腹を切らされたが、忠成は本領を安堵されて安中城に留まった。 天正18年(1590)、小田原の役が勃発し、この城は北国勢数万の攻囲を受けた。前田利家、利長父子は1万8千の兵を率い2月16日加賀を立ち、3月中旬追分に達して、真田幸幸、信幸父子の3千、芦田康国、康貞兄弟の4千の軍勢を併せた。 3月18日四面総攻撃を受け、連日の苦闘により力尽き、政繁は降伏した。 |