所在地 | 秋田県秋田市千秋公園。JR秋田駅の北西750m。 |
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構造 | 本丸、二の丸、三の丸、北の丸を有し、石垣も天守もない包括型、連続型併用の平山城。 |
築城 | 関ヶ原の役で石田三成に応じたため、水戸から移封された佐竹義宣が、慶長7年(1602)から築城を開始した。 |
城主ほか | 佐竹義宣、以降義堯まで佐竹氏12代 |
その他 | 8代藩主義敦は平賀源内を招き、阿仁銅山の産出増を図った。ことのとき源内は角館在住の藩士小田野直武に洋画の技法を教えた。 国学者平田篤胤は秋田藩士の子に生まれ、全国に数千人の弟子を得て、その復古神道の思想は幕末における草莽崛起の士の思想的支柱になった。この影響下にあった秋田藩は、戊辰戦争の時当然に勤王方だった。そのため奥羽列藩同盟軍に攻め立てられて、危うく落城の地点にまで追い詰められた。 |
「図解日本の城 奥羽道」より | 2010/08/12 歩行図 東北山登り旅行 |
二の丸跡 | 御物頭御番所 |
久保田城表門(本丸一ノ門) | 久保田城表門(本丸一ノ門) |
本丸跡 奥は佐竹義堯像 | 御隅櫓 |
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