所在地 | 高知県高知市丸ノ内。高知駅の西南方1.4Kmの標高42mの大高坂山の丘とこれに続く平地。 |
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構造 | 大高坂山全体を鏡川と江の口川および堀で囲んだ、包括型の平山城。 |
築城 | 鎌倉時代に大高坂氏の拠点として築城された後、南北朝時代に廃城となっていたものを、山内一豊が入国後築城開始し、慶長16年(1611)二代忠義の時に完成。 |
城主ほか | 一豊から豊信(容堂)、豊範まで山内氏16代 |
その他 | 関ヶ原の合戦で西軍に与して敗れた長宗我部盛親は、元親の偏愛により末の男子にも関わらず家督を継いでいたのだが、家康に詫びる出る際に、兄の津野親忠を孝山寺に押し込め自決させた。家康はこのいきさつを知って土佐を長宗我部から没収し、掛川藩主山内一豊に渡した。 このため長宗我部家臣たちは、これに強硬に反対した。このタカ派に対してハト派との間で同士討が起こり、タカ派273人の首が取られる結果となった。ここに手勢60人を連れて乗り込んできた一豊は、長宗我部の居城浦戸城の石材の搬出や待ち伏せ斬殺や磔刑など高圧的見せしめで安定化を図った。これらが幕末の土佐藩の上士と下士との思想的対立のもとになったとも言われている。 |
入城パンフレットより | 2010/05/19 歩行図 四国旅行 |
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