所在地 | 福岡県北九州市小倉北区城内。西小倉駅の南490m、小倉駅の南西840mで、かつては紫川が響灘に流れ込む河口西側だった平地。 |
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構造 | 本丸、二の丸、三の丸、松の丸、北の丸があり、天守以下、平櫓117、二重櫓16、櫓門12を備える構えだった。 |
築城 | 細川忠興が慶長7年(1602)から7年かけて築城した。 |
城主ほか | 細川忠興、忠利、小笠原忠真以下10代の小笠原氏 |
その他 | 外様の細川氏の後は、明石城を築いた譜代の小笠原氏が入った。徳川幕府の仮想敵である毛利氏を背後から押さえるためであったが、第二次長州征伐では、長州の猛攻により城に火を放って藩主は逃亡してしまった。 |
縄張り「図解 日本の城」より | 2017/04/30 歩行図 |
西ノ口門跡 | 鉄門跡 |
本丸南石垣 | 本丸 旧第12師団司令部正門(説明) |
本丸 師団の名残 | 本丸西堀 |
本丸から北の丸 | 本丸北(空)堀 |
北の丸 北堀 | 同左 |
南蛮造りの復興天守 | 虎ノ門口 |
大手門 | 槻門跡 |
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