春日山城

 
所在地新潟県上越市中屋敷。春日山駅の西方2.6Kmで、標高170mの山頂部から東面中腹部一帯。
構造頸城平野の西北に位置する春日山の山頂に本丸を構え、二の丸、三の丸をその下に配し、土塁・濠も置いた。本丸後方一段低いところに大井戸があり、北方には毘沙門丸があった。西方には景勝屋敷があり、二の丸三の丸方面には家臣屋敷跡があった大規模山城。
築城永正10年(1513)、越後守護代長尾為景(謙信の父)が築き居住。
城主ほか長尾為景、晴景(謙信兄)、(上杉)景虎(謙信)、上杉景勝(謙信養子)、堀秀治、忠俊
その他為景の築城以前は、その主家越後守護職上杉房能が直江津の御館にあり、春日山は詰の城としての位置づけだった。
為景は上杉房能と対立し、房能の兄関東管領上杉顕定は、為景征伐軍を鎌倉から送った。
為影の死後跡目を晴景が継いだが、景虎派との対立が起き、隠居した。
景虎は、永禄4年(1561)関東管領上杉家の名跡を継いだが、死後甥の景勝と北条氏から迎えた景虎の二人の養子の間で、御館の乱という相続争いが起き、景勝が勝った。
その後、景勝は会津百万石へ移封され、堀秀治がこの城に入ったが、子忠俊は上越市港町の福島城に移り、春日山城は廃された。

縄張り「案内パンフレット」より2012/10/23 歩行図
駐車場から春日山神社への石段春日山神社から屋敷跡郭への入口
千貫門への上り道千貫門跡
千貫門近くの空堀直江屋敷跡
毘沙門堂跡本丸付近からの眺め
本丸跡本丸跡からの天主台跡
井戸丸跡天主台跡
二の丸跡米倉跡の土塁
三の丸跡 後方は上杉景虎屋敷跡謙信銅像と後方三の丸
春日山城説明板案内パンフレットの絵図

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