宮崎城・神成城

所在地宮崎城:群馬県富岡市宮崎。上信電鉄神農原駅の北々西710mで、比高50mほどの高台。
神成城:群馬県富岡市神成、下丹生。神農原駅の北西1Kmで、標高321mの竜王山の東肩辺り。宮崎城からは西に尾根伝いに650m程。
構造不詳。宮崎城は高台が西に尾根状になって伸びる辺りに本曲輪、その東に曲輪があったようだ。この城の詰め城と云われる神成城は、本丸からの北尾根と北東尾根に夫々数段にわたって郭が形成されている。
築城不詳
城主ほか小幡図書(景定)ほか小幡氏、奥平信昌(初代小幡藩主)
その他 国峰城の支城。当初上杉方についてその後、武田、北条に従ったが、天正18年(1590)の小田原攻めで、豊臣方の藤田信吉の攻撃を受け落城した。
 奥平信昌は、元々は今川に属していたが、徳川、武田と替り、家康の長女亀姫の夫となってから再度徳川に属し、小幡藩主となり関ヶ原の合戦の功で加納藩主となった。

宮崎城縄張り「現地案内図」より神成城縄張り「現地案内図」より2015/05/01 歩行図

宮崎城 説明板宮崎城 本曲輪跡に建つの中学校体育館
宮崎城 本曲輪西の堀宮崎城 更にその西の堀
神成城 説明板神成城 本丸跡
神成城 本丸西の物見台神成城 北尾根の郭の一つ
神成城 北東尾根の郭の一つ神成城 これも北東尾根の郭の一つ

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