金沢城 1/2

 
所在地石川県金沢市丸の内。金沢駅の南東1.9Kmの犀川と浅野川に挟まれた高台。
構造 隣接する兼六園との間に百間堀を築き、南東済の最高所に東の丸、本丸を置き、扇型に広がる北、西方向には、二の丸、三の丸、新丸等の曲輪を繋げた平山城。
 城内建物の壁下部はなまこ壁とし、屋根瓦にはいざという時のために鉛を使用していた。五層の天守が焼失した後は、三階櫓を上げていた。
築城天文15年(1546)、空堀や柵などを備える城造りの寺院・尾山御坊が建立され、加賀の本願寺の拠点となった。天正15年(1587)、前田利家に呼ばれた高山右近がここを大改造し、金沢城と改称された。
城主ほか加賀一向一揆の門徒衆、佐久間盛政(柴田勝家の甥)、前田利家、利長、利常、光高、綱紀、吉徳、宗辰、重煕、重靖、重教、治脩、斉広、斉康、慶寧
その他 高山右近は、キリシタンの摂津の豪族であり、信長、秀吉などに仕えながら戦国大名として生き抜いたが、キリシタン禁令にも信仰を捨てず大名の地位を失う。その後幕府のキリシタン追放令でマニラに出国し、現地で病死した。
 維新後は、歩兵第7連隊が置かれ、その後陸軍第9師団司令部が置かれたが、戦後は金沢大学のキャンパスとなっていた。大学移転後は、金沢城公園として公開され、五十間櫓や菱櫓なども再建されている。

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縄張り「探訪日本の城5北陸道」より2014/05/29 歩行図(荒島岳登山の後に立ち寄る)
明治43年頃の工事により道路となった百間堀百間堀跡越しに見る石川門
石川橋からの石川門石川門内部
三の丸からの河北門石川門から水門に連なる長塀(三の丸側)
菱櫓(右)、橋爪櫓(左)と五十間長屋左手、鶴の丸石垣と土塀
土塀構造見本二の丸からの極楽橋と三十間櫓

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