所在地 | 鹿児島県鹿児島市城山町。鹿児島駅の西南西1Kmで、錦江湾奥の桜島が湾に迫り出しているあたりの対岸の海から約850mほど離れた地点で、背後の標高108mの城山の南東山麓。 |
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構造 | 背後の城山を詰の城として準備だけはし、山麓に簡単に本丸、二の丸を掘と石垣で囲んだ、天守も櫓もない平城。 |
築城 | 慶長18年(1613)、島津家久が築いた。 |
城主ほか | 島津家久以下12代の島津氏 |
その他 | 70万石を超える大大名の城としてはふさわしくない簡素なものだったのは、関が原の合戦で命からがら逃げ帰ってきた後なので、あえて貧弱な城で幕府に対して恭順の意を表するためだったという考えのようだ。ただし、島津氏は領内各地の戦国城郭を「麓」と称してそのまま保存し家臣を置いて、ネットワークで領域全体を守る外城制を敷いていた。 西南戦争の際、西郷隆盛は明治政府軍に敗れ、各地を逃げ回った末、故郷に戻って城山に逃げ込み、ここで自刃した。 |
縄張り「図解 日本の城」より | 2017/05/05 歩行図 |
水堀 | 焼失した大手門手前の石橋 |
「薩摩は人をもって城となす」 | 鬼門の隅欠き石垣 |
私学校(出丸)の石垣の銃痕 | 薩摩義士碑(説明板) |
城山への遊歩道 | 城山から桜島の眺め |
西郷隆盛洞窟(碑と説明板) | 二の丸庭園だった探勝園 島津斉彬像 |
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