所在地 | 愛媛県松山市丸ノ内。松山駅の北東1.5Kmの勝山の頂上部とその山腹にある。 |
---|---|
構造 | 標高132mの勝山の頂上に本丸、その南西山腹に二の丸、その麓に三の丸を配した連続型平山城。東側及び北側山麓に東郭、北郭設けてある。当初本丸には五層の天守閣が建てられていた。 |
築城 | 慶長7年、関ヶ原の合戦の功により20万石に増封された加藤嘉明が築城開始し、12年かかってほぼ完成した。現存の三層天守は、松平定行により改築されたものが、落雷で焼失し、文政3年から34年けかて築かれたのもの。 |
城主ほか | 加藤嘉明、蒲生忠知、松平定行以後14代 |
その他 | 寛永4年(1627)、加藤嘉明は会津若松40万石に移封され、出羽上ノ山から蒲生忠知が入城したが、7年後参勤の途上急死し、除封となり、徳川家康の異父弟久松定勝の子、定行が伊勢桑名より入城した。 |
「図解日本の城」より | 2010/05/21 歩行図 四国旅行 |
松山城古図 | 本丸南面の石垣 |
太鼓櫓と奥の天守 | 小天守と大天守 |
天守石垣 | 乾門と乾・東続櫓 |
再建された二の丸御殿 | 二の丸石垣 |
古城巡りの TOP |