所在地 | 福井県福井市城戸ノ町町。一乗谷駅の南1.6kmの一乗谷川に沿った谷間とその東の比高380mほどの山の上。 |
構造 | 一乗谷の南北に城戸を設け、その間の城戸ノ内に朝倉館や侍屋敷、寺院、町家を設けた城下町と、東背後の標高473mの一乗山城に千畳敷(本丸)、一の丸、二の丸などの曲輪を配した中世山城からなる。 |
築城 | 南北朝時代には、朝倉氏が一乗谷を本拠にしていて、文明年間には重臣達もここに集住するようになったようだ。 |
城主ほか | 朝倉氏 ・・・氏景、貞景、教景、家景、氏景、孝景、義景、桂田長俊(朝倉氏旧臣・織田方) |
その他 | 応仁の乱で荒廃した京から多くの公家や高僧、文人が避難して来たため、飛躍的に発展して華やかな京文化が開花していて、庭園や花壇も作られていた。 織田信長との戦いで刀根坂で大敗した朝倉義景は、一乗谷を捨て賢松寺まで逃れていたが、従兄弟朝倉景鏡の裏切りに遭い自害した。また、一乗谷は織田の軍勢により焼き払われてしまった。 桂田長俊は、同じ朝倉旧臣らと民衆の一揆により一族とともに打ち取られてしまい、その後信長に越前八郡を与えられた柴田勝家は、北の庄に本拠を構えて、一乗谷は田畑の下に埋もれてしまった。 |