所在地 | 三重県津市河芸町上野。近鉄豊津上野駅の北750m、伊勢鉄道伊勢上野駅の南950mで、標高38mの本城山と呼ばれる段丘の上。 |
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構造 | 東西230m、南北120mの規模で、本丸は80m四方の高台で東側に二の丸が置かれ、その東側に幅20mほどの空濠が造られており、他の三方は自然の堀となっている。 |
築城 | 元亀元年(1570)、織田信包が分部光嘉に築城させた。 |
城主ほか | 織田信包、分部光嘉、光嘉 |
その他 | 織田信長による伊勢侵攻が始まった時、分部光嘉は信長に恭順を近い、信長の弟信包を養嗣子に迎えた。 賤ヶ岳の戦いの後、お市の方の遺児茶々、初、江は信包に預けられ、一時この城で過ごしたと云われる。 元和5年(1619)、光嘉の養嗣子光信は江州大溝藩へ移封となり、廃城となった。 |
縄張り「現地案内図」より | 2017/01/11 歩行図 (伊勢街道歩き) |
伊勢街道からの入り口 | 空濠道 |
二の丸 | 本丸 |
本丸南側 天然の堀 | 説明板 |
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