今治城

 
所在地愛媛県今治市通町三丁目。今治駅の東1.2Kmで、瀬戸内海の来島海峡を南に抜けた海岸にごく近い平地。
構造ほぼ正方形の本丸の東北に接して一段低く二の丸、その西北に三の丸を配し、幅約54mの海水を引き入れた内堀をめぐらし、三の丸北に大手門、南に搦手門を設けて山里丸に通じていた平城。
築城藤堂高虎が、慶長7年着工し、慶長9年(1604)に完成した。
城主ほか藤堂高虎、高吉(養子)、(久松)松平定房以下10代の松平氏
その他 慶長13年に伊予東部20万石の高虎は転封となったが、養子高吉2万石の居城となった。寛永12年(1635)、松山藩主松平定行の弟定房が3万5千石の支藩として封ぜられ、幕末に至った。
 現在、模擬天守が建てられているが、そもそも天守がなかったという説と、建てられていたものの慶長15年に丹波亀山城に移されて、その後築かれなかったという説がある。

縄張り「現地案内図」より2017/06/12 歩行図
城址碑広い水堀に浮かぶ城 左から御金櫓、鉄御門、武具櫓、山里櫓
山里櫓と模擬天守搦手口 山里櫓
石垣の上から武具櫓と鉄(クロガネ)御門藤堂高虎像
南東面水堀と石垣の上本丸内の吹揚神社
沿革説明板海水堀説明板

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