福井(北庄) 城

 
所在地福井県福井市大手3丁目。福井駅の北400mで、足羽川右岸の平地。
構造 本丸を中心にして二の丸、三の丸と、幾重にも堀に囲まれていた。特に東側は川を回収して百間堀としている。外堀としては南の足羽川、東の現・荒川などで2Km四方を城域として、外堀の内側に武家屋敷、その外側に城下町が広がっていた完全包括型の平城。
築城結城秀康が慶長5年(1600)に越前68万石を拝領して築城に取り掛かり、慶長11年に完成した。
城主ほか徳川家康次男の結城(松平に改姓)秀康以下17代の松平氏
その他 2代忠直は、大阪の陣での戦功を将軍秀忠に認められなかったことから、幕府に反抗的態度を取り、乱行を理由に豊後大分に配流された。忠直の弟忠政が越後高田藩(25万9千石)から福井藩の主たる家臣百余名と藩領(50万石)を継承した。忠昌入部の後、北の庄は福居(のち福井)の名に改められ、越前国は福井藩の他、丸岡藩、大野藩、勝山藩、木本藩等に分割された。
 幕末、田安徳川家から養子に入った松平慶永(春嶽)は、藩政の改革を行ったが、安政の大獄により隠居させられた。謹慎解除後は、幕政に参加した。

縄張り「現地パンフレット」より2017/06/15 歩行図
福井の歴史説明板御本城橋と本丸
東内堀御廊下橋(説明)
瓦御門内側の石垣結城秀康
本丸復元図瓦御門(説明)の石垣
天守台下部天守台(説明)上部

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