(肥前)名護屋城

 
所在地佐賀県唐津市鎮西町名護屋。西唐津駅の北西12Kmで、玄界灘に突き出した東松浦半島の北端近くで、名護屋浦の西1Kmほどの標高89mの小山の上。
構造中央最上段にに本丸を置き、中断にはそれを取り囲むように二の丸、三の丸、遊撃丸、東出丸、弾正丸、水の手曲輪があり、下段に山里丸、台所丸を配置した当時としては大阪城に次ぐ大規模な城で、さらに周囲約3Kmの圏内に全国から参集した大名が120もの陣屋を築いていた。
築城天正19年(1591)秋から、豊臣秀吉が西国大名に分担させて、5ヶ月足らずで主要部を完成させた。
城主ほか豊臣秀吉
その他 秀吉が、征韓のために国内の本営として築城したもので、最盛期には人口10万人を超える城下町ができたという。
 秀吉の死によって終わった戦いの後、この天守閣は唐津に運ばれ、寺沢高広が唐津城の天守閣にしたと言われている。また、仙台城の大手門もここから移されたものと言われていたが、いずれも焼失してしまった。
 付帯の陣城を巡る記録はこちら。

縄張り「現地案内図」より2017/05/02 歩行図
大手口石垣城のかげ溜池
大手口大手口石垣から東出丸
三の丸馬場入口
馬場本丸 城址碑
天守台廃城時に破却された本丸南西隅櫓跡
弾正丸から馬場の石垣弾正丸 搦手口
二の丸長屋建物跡遊撃丸
鯱鉾池と台所丸山里口の石垣

 付帯の陣城を巡る記録はこちら。
古城巡りの TOP