広島城

 
所在地広島県広島市中区基町。広島駅の西北西1.6Km、横川駅の南東1.2Kmで、太田川河口のデルタ地帯。
構造太田川本流と神田川の間に本丸を方形に構えて広大な堀を巡らし、その南に小さい馬出し風の二ノ丸、本丸の東・南・西に三ノ丸、その外側に外曲輪を配した平城。
築城天正17年(1589)、毛利輝元が築城開始し3年後に完成した。
城主ほか毛利輝元、福島正則、浅野長晟 以下浅野家12代
その他 関が原の合戦で西軍の総大将だった輝元は、周・長に削封され、替って福島正則が入封したが、太田川の氾濫で石垣や堀が決壊し修築したことが届けなしの城修復のかどで改易し処分を受けた。
 維新後、日清戦争時には大本営が置かれ、太平洋戦争時には中国軍管区司令部が置かれたりしたが、昭和20年の原爆投下により天守閣、太鼓櫓などすべてが消滅した。

縄張り「現地案内図」より2014/06/20 歩行図( 大山登山と中国地方の城めぐり)

二ノ丸 表御門、平櫓、多聞櫓、太鼓櫓案内図
二ノ丸 御門橋、表御門、平櫓説明板
二ノ丸から本丸に向かう本丸下段 中国軍管区司令部地下通信室跡
城史碑本丸からの天守閣
原爆被災碑内堀の北東外からの天守閣

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