所在地 | 兵庫県姫路市本町。姫路駅の北1.3Km、京口駅の西北西1.2Kmで、姫路平野の中央に標高45mの姫山と呼ぶ丘を中心とする領域。 |
構造 | 比高20mほどの姫山を本丸とし、その周辺に二の丸、三の丸、西の丸等を、それらを囲んで内郭、中郭、外郭をそれぞれ濠をめぐらして螺線形に配してある。五層六階の大天守閣は、東、乾、西の小天守閣を渡櫓で方形に結んである。 |
築城 | 貞和2年(1346)、赤松貞範、城を築く。天正9年(1581)、羽柴秀吉、三重の天守を築く。慶長6年(1601)、池田輝政、大改築を開始。元和4年(1618)、本多忠政、西の丸を築く。 |
城主ほか | 赤松貞範、山名持豊、黒田重隆、孝高(勘兵衛)、羽柴秀吉、秀長、木下家定、池田輝政、本多忠政、松平直基、榊原忠次、松平直矩、本多忠国、榊原政邦、松平明矩、酒井忠恭、忠邦 |
その他 | 元和3年、時の城主本多忠政の嫡男忠時に徳川家康の愛孫千姫が正室として嫁した。本多家は千姫の化粧料を持って、西の丸を新たに造影した。 明治に入って、政府の発令により城郭は破却され、姫路城も取り壊されることになったが、あまりに手間が掛かりそうなので放置されていた。三の丸にあった陸軍歩兵連隊を訪れた中村重遠大佐の働きかけで存城が決定され、、明治43年に修繕費9万円が支給され崩壊の危機を逃れることが出来た。 昭和6年、天守閣が(旧)国宝に指定。昭和27年、内壕以内が特別史跡に指定。平成5年、世界文化遺産に登録される。
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