所在地 | 青森県八戸市内丸1丁目1番地。本八戸駅の南200mで、馬淵川右岸から900mほど離れた比高7〜8mの段丘の上。 |
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構造 | 本丸と二の丸を内堀で区切り、全体を外堀で囲んだ崖端平城。 |
築城 | 建武年間以後に八戸南部信助の築いた中館をもとに、寛永4年(1627)三戸南部信直が城と城下町を普請したと伝わる。しかし、本格的な整備は、寛文5年(1665)に徳川幕府が南部重信に八戸領を分領して八戸藩が成立してからのことである。 |
城主ほか | (八戸)南部信助・・・(三戸)南部信直・・・初代 南部直房〜9代 南部信順 |
その他 | 戦国時代末、(三戸)南部信直が秀吉から朱印を受け、南部内7郡を支配するようになり、その子利直は寛永4年(1627)に(八戸)南部氏を遠野に移し、八戸を直支配とした。その後、盛岡に移った南部重直は世継ぎを定めないまま没したため、幕府は弟重信を盛岡8万石、同じく弟直房を八戸2万石を与えた。 |
縄張り「現地説明板」より | 2018/05/25 歩行図 |
説明板 | 三八城神社 |
八戸城址碑 | 本丸跡 |
本丸と二の丸間の内堀跡道路(翌朝撮影) | 八戸城角(スミ)御殿東門(翌朝撮影) |
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