原城(島原)

 
所在地長崎県南島原市南有馬町乙。三角駅の西20Km、島原鉄道島原外港駅の南西19Kmで、島原半島南端近くの駒崎鼻の南の島原湾に面した高さ30m程の崖の上一帯。
構造本丸、二の丸、三の丸、天草丸、出丸などで構成され、周囲3Km、41万平方Kmの規模を持つ平山城。
築城明応5年(1496)、領主有馬貴純が築城したと言われる。
城主ほか有馬氏
その他 転封された有馬氏に替って入部した松倉重政は、一国一城令により原城を廃城とし、島原城の築城にあたってこの城の石垣等を運び出して利用したと見られている。
 松倉の藩政は領民への苛酷な賦役と重税を課し、キリシタン弾圧を厳しく行ったため、寛永14年(1637)に天草四郎時貞を盟主として島原の乱が起こった。同年12月3日から88日間立てこもった後、老人、女子供までも一人残らず皆殺しにされて乱は鎮圧された。一方、島原藩主の松倉勝家は苛政により乱を引き起こした責任から、斬首の刑に処せられたと云われる。

縄張り「現地案内図」より2017/05/04 歩行図 攻城包囲図「探訪日本の城10西海道」より
城の北部 三の丸付近三の丸
三の丸 板倉重昌の碑空濠
本丸本丸 ホネカミ地蔵
本丸同左
本丸からの雲仙岳説明板
天草四郎像本丸から西の眺め
天守台跡田町御門跡

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