後閑城

 
所在地安中榛名駅の南方3.6Km、磯部駅の北方3.6Kmの安中市中後閑字谷津で、九十九川と後閑川の合流点近くの丘陵上にある。
構造梯郭式を基調とする山城で、山稜を四ヶ所の堀切で起ち、最高所が本丸。二の丸は大堀切によって本丸と断たれた一城別郭の構成をとってある。
築城15世紀中頃(1445)、信州の依田忠政が築城と伝えられている。
城主ほかT 依田忠政から孫、光慶まで。U 北条政時。V 新田(のち後閑)景純、子信純、真純。
その他 依田光慶は天文7年(1538)板鼻鷹巣城に移った。
 丹生城主新田景純は、北条政時と争い永禄3年(1560)に勝ってここに移った。
 信純は武田信玄に従い、武田今川の合戦で子久純と共に討ち死にした。真純は、武田滅亡後滝川一益の家臣で松井田城代の津田勝正に攻められ討ち死にした。本能寺の変の後、後閑氏は小田原北条氏の旗下で復活したようだが、天正18年北条氏滅亡とともに後閑城は廃城になったようだ。

現地案内板より2010/01/21 歩行図
西第三郭から本丸後閑城址よりの妙義山
本丸と百庚申二の丸櫓台
二の丸・本丸の大堀切東郭群
北第一堀切南郭

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