岐阜城

 
所在地岐阜県岐阜市天守閣、杉ヶ洞、赤ヶ洞、明神洞、槻谷。岐阜駅の北東3.6Kmで、長良川左岸の標高329mの金華山の頂上部。
構造文献も少なく明確でないが、頂上に本丸、その南に二の丸を配し、また一の門、二の門、太鼓櫓等を配した山城で、山麓の槻谷には平時の邸宅があった。
築城建仁元年(1201)二階堂行政が築城したのが始まり。天文8年(1539)斎藤道三が大修築を行い、井の口城と称した。永禄10年(1567)織田信長がここに移り豪壮な城館を築いた。
城主ほか二階堂行政、斉藤利水、斎藤道三、織田信長、池田元助、羽柴秀勝、織田秀信
その他 永禄12年にこの地を訪れたフロイスは、「ポルトガルからインドを経て日本にくるまで多くの城塞を見たが、これほど精巧、美麗、清浄なるものは見たことなく、規模の壮大さも想像を絶する」と書いている。
 信長の孫秀信は、関ヶ原の合戦時に西軍について東軍を迎え撃ったが、激烈・悲惨をきわめた防衛戦で降伏し、高野山に蟄居を命ぜられ、城は廃城となった。

縄張り「現地案内図」より2015/03/08 歩行図

復興天守本丸(金華山)からの眺望
説明板隅櫓形式に建築した資料館
石垣・井戸跡二の丸付近
二ノ門跡説明板
信長居館跡板垣退助遭難の地銅像

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