福山城

 
所在地広島県福山市丸之内。福山駅のすぐ北、駅構内は二ノ丸跡である。
構造比高15m程の常興寺山山頂に五層六階の天守閣を中心とした本丸、それを包んで腰曲輪を一段低く配し内堀を巡らし、さらに平地に二ノ丸、三ノ丸を置き、外堀で囲んだ典型的な平山城だった。
築城元和8年(1622)水野勝成により築かれ始め、全郭完成まで13年を要したと云われる。
城主ほか水野勝成以下水野家5代、天領、松平忠雅、阿部正邦以下阿部家10代
その他 家康は、水野勝成をして広島の浅野氏、防長の毛利氏などを牽制させるために、巨大で壮観な構えの徳川の城としての位置づけをした。
 阿部氏の7代目藩主正弘は、幕府の老中首座を努め幕末動乱期にあって日米和親条約を締結し、安政の改革を断行した。
 大政奉還後、長州軍により攻撃を受けたが恭順が認められ、以後は、西国外様大名を中心とした新政府軍の尖兵として、旧幕府軍と戦うこととなった。

縄張り「探訪日本の城8山陽道」より2014/06/19 歩行図(大山登山と中国地方の城巡り)

本丸から天守閣鐘櫓
伏見櫓維新戦争説明板
三ノ丸から移設された旧内藤家長屋門城址碑
鐘櫓月見櫓
御湯殿筋鉄御門
水野勝成像御湯殿付近からの天守閣

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