備中松山城

 
所在地岡山県高梁市内山下。備中高梁駅の北々東2.3Km、木野山駅の南々東2.0Kmで、高梁川左岸の臥牛山の南尾根の標高420mのピーク付近。
構造比高340mの小松山山頂に本丸、その北に後曲輪、南に二ノ丸、厩曲輪、三ノ丸を配置し、城内には天守・二重櫓・土塀が現存し、本丸南御門・東御門・腕木御門・路地門・五の平櫓・六の平櫓などが復元されている山城。
築城延応2年(1240)秋葉重信が大松山に砦を築いたのが始まり。関ヶ原の合戦の後、入城した小堀正次・政一により修改築がされた。天守等は天和3年(1863)に水谷勝宗により修築された云われている。
城主ほか秋葉氏、高橋氏、高氏、秋葉氏、上野氏、庄氏、三村氏、毛利氏、小堀氏、池田氏、水谷氏、安藤氏、石川氏、板倉氏
その他戦国時代には、尼子・毛利両氏の覇権を争う接点となっていた。

縄張り「入城パンフレット」より2014/06/18 歩行図(大山登山と中国地方城めぐり)

鞴峠設置の全体図大手門跡
三の平櫓東土塀国指定重要文化財の表示
黒門跡厩曲輪跡
説明板二ノ丸より本丸を望む
五の平櫓下から本丸東御門天守閣
二重櫓降りて来て振り返り眺める

古城巡りの TOP