芦田城

 
所在地長野県北佐久郡立科町茂田井273。佐久平駅の西13Km、しなの鉄道小諸駅の南西12Kmで、北の千曲川と南の蓼科山の間の裾野地帯の標高806mの小山の上。
構造比高70m程の小山の頂上の本丸を中心として、その周囲の下に段々に曲輪を配置した山城。
築城不詳。鎌倉期に滋野系芦田氏により築城されたと推測されている。
城主ほか滋野系芦田氏、依田(芦田氏に改姓)光徳・・・信守、信蕃、康国
その他 滋野重房は、依田氏と米持氏の連合軍に攻められ落城し、滋野系芦田氏は、文明18年(1486)滅亡した。
 信守の代には、武田氏の配下となり、信蕃は徳川家康の佐久統一の命を受けその任を果たした。その功により子康国は松平姓と康を与えられ小諸城主となった。康国の弟康貞は、康国の跡を継ぎ藤岡城主に転封された。

縄張り「続・群馬の古城」より2019/07/06 歩行図
道路を上がってきて、本郭などの主要部が見えた道路の終点の説明板
すぐ上に聖観音堂その左わきの郭
観音堂の少し上の展望台からの見通し 左:北西 聖高原、姨捨山方向 右:北 鏡台山、東太郎山方向
本郭内奥の社と土塁本郭北直下の曲輪
本郭の入り口南東下の曲輪

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